お地獄ブログ

てめえら駄人間と関わっている暇はない

俺はそれでも「マツキタツヤ」が好きだった、という話

さて、超絶最強感情ぶん殴りお漫画「アクタージュ」原作者松木達哉の逮捕が明らかになり、数日が過ぎた。

 

性犯罪被害者を慮る声、作画の宇佐崎しろを慮る声、アニメ・漫画業界全体に反省を迫るクソブログ、アクタージュという作品の決定的な終わりを嘆く声、声声声、お気持ちブログお気持ちブログお気持ちブログが溢れて窒息しそうだ。

ああお前たちの気持ちはよーくわかる。犯罪被害者の少女は慮られるべきで、宇佐崎しろ先生は可哀そうで、クソブログはクソで、少女へのセカンドレイプは防止されるべきで、それでも連載終了の悲しみを吐き出さずにはおれなかったんだな。よくわかる。とてもよくわかる。

 

だが一つ、たった一つだ。お前たちが言っていないことがあるだろう。お前たちが目を背けていることがあるだろう。叩かれるのが怖くて言っていないことがあるだろう。

 

それはこれだ。松木達哉は最悪の性犯罪者だが、それでもマツキタツヤは最高の創造者だった、ということだ。

 

お前ら駄人間はアクタージュという作品について、宇佐崎しろ先生が可哀そうだとかそんな言葉でカスみたいにお茶を濁しているみたいだが俺は言うぞ。

 

俺たちは宇佐崎しろ先生の画以上にマツキタツヤの物語が好きだったのだと

 

俺たちがアクタージュを読んで脳ミソぶち揺らされた時、俺たちは宇佐崎しろの画に感動したのではない。宇佐崎しろの最高の画によって十全に表現されたマツキタツヤの最強で最高で本物の物語に殴られていたんだ。

お前たちは、百城千代子の仮面が破れた時に、明神阿良也のジョバンニが現実へ戻ってきた時に、校舎の壁に映し出された「隣の席の君」に、羅刹女の怒りに、千代子の「どうせ私たちは しわしわのおばあちゃんになっても役者だから」に、お前たちは、俺たちは、俺たちは、この物語になら死んでもいいとすら思っただろう。

嘘とは言わせねえぞ。俺たちは確かにマツキタツヤの物語に狂っていたし、俺たちは最高の漫画原作者マツキタツヤが好きだった

 

ああ、確かにあいつは最低の性犯罪者だ。一人の人間の一生に暗い影を落としたクズだ。それがどうした。

ああ、私たちは松木達哉の犯罪を、厳粛に裁かなければならない。松木達哉は犯罪者だ。一個の物語を「アクタージュ」という物語を残虐にぶち壊しやがった彼を俺たちは憎む。

それでも、それでもだ。

 

マツキタツヤは最高の創造者だった。

 

俺は彼のことを「いい漫画を描いていたが、性犯罪を犯したどうしようもないクズ」として認識しない。俺は彼のことを「性犯罪を犯したどうしようもないクズだが、それでもいい漫画を描いていたやつ」として認識する。

社会的人間としての松木達哉はどうしようもないクズだ。そのことは彼が最高の漫画を描いていたとしても決して忘れ去られるべきではない。

同様に、漫画原作者としてのマツキタツヤは最高だ。そのことは彼が最悪な性犯罪を犯したとしても決して忘れたくはない。

 

この記事は松木達哉の犯罪の責任を些かも軽くするものではない。

この記事が犯罪被害者へのセカンドレイプになる、だって? その通り、この記事はセカンドレイプだ。存分に告発しろ。状況を弁えないで本当に思っていることを口に出すクズがここにもいるのだと俺を殴れ。そうして、この記事の言っていることなんて聞く必要はないのだと言え。

そうだ、それが正しい、政治的に全く正しい言説だ。

 

それでもなお俺は言う。俺は言うぞ。政治的な正しさなど知ったことか。俺には一個の物語の威力の方がずっと大きい。

 

マツキタツヤ、お前は最低最悪の人間だが、最高の漫画原作者だ。

また漫画を、いや漫画でなくてもいい、物語を書け。

罪を償って後、また物語を書け。また最高の物語を書け。

 

 

お前はお前のやったことに対して死ぬほど後悔しろ、被害者の痛みを想像しろ、被害者の痛みはお前の想像の百倍重い、それでも俺はお前の書く物語が好きだ。